フォノシート'59

1.コダマプレス 
 11月,コダマプレスは我が国初の音の出る雑誌,シート4枚付,一般向けの『歌う雑誌KODAMA』(月刊)と,シート3枚付,94頁,ハイクラス指向の『音のデラックス誌AAA(スリーエー)』(隔月刊)を創刊した.
 コダマプレスは,社会科学系の大手出版社有斐閣において『六法全書』,『ジュリスト』の編集長を務めた田中京之介らが,10月6日に設立した会社で,資本金は800万円.社長には後の有斐閣社長江草忠允,専務には田中京之介,編集長には六法編集室から伊部利秋が就任した.
 創刊時のスタッフは経理を含めて5人であったが,『KODAMA』では同社常連となる串田孫一の山の随筆,ムード音楽,ジャズ,英会話を,『AAA』では俳優座誌上立体公演『十二夜セリフ集』,古沢淑子による『日本のしらべ』を独創的な耳付カラーシートに収め,やはり同社の定番となる佃公彦のイラストを交えて発刊している.
 なお,当初,『KODAMA』は8日,『AAA』は18日創刊と告知されたが,取次各社からの注文殺到による追加生産などもあり,それぞれ10日,22日に遅延する.

2.朝日ソノプレス社 
 続く12月10日には,朝日ソノプレス社が『月刊朝日ソノラマ』を創刊.15日に増刷を発売した.
 朝日ソノプレス社は,9月9日,朝日新聞社が全額出資により設立した会社で,資本金は5000万円.フランスのSONOPRESSEと提携し,代表取締役社長にはSONOPRESSE側のマネージャーを務めたアンドレ・キャラビ,取締役専務には朝日新聞社業務部から本多正道,編集部長には学芸部から井沢淳,同次長には外報部から辻豊が就任,スタッフは朝日新聞社からの出向や関係者の他,放送局や音楽界,映画界の出身者で構成され,編集部は朝日新聞別館の3階,本社内にも分室を持ち,収録には飛行館,アバコ,アオイなど以外に本社屋内の朝日放送東京支社スタジオも使用,製造部は小豆沢の凸版製本本社工場そばにあった.なお,創刊直前の11月28日より朝日新聞社では大規模なストが実施されている.
 皇太子御成婚から人気映画スターのお喋りまで硬軟併せ持つ創刊号の内容と誌面レイアウトは本家『sonorama』を受継いでいるが,仏誌の創刊号の裏表紙に見られたシートの使用方法の説明はない.リングでバインドする『ソノラマ』独特の装丁は,フランスから空輸された1時間に8千枚の生産が可能な輪転機スタイルのDSRII型プレス機3台によるシートと凸版印刷による冊子を当初は手作業で綴じていたものである.
 仏誌と同じくテスト版を配布したこともあり,創刊前より大手版元からのシート製作の問い合わせ,多方面からの出広申し込みが相次ぎ,12月には第5号までの広告が決定していた.また,従来にないタイプの商品である『ソノラマ』の計画的な販売を図った朝日新聞社は,書店流通分を東販の専売,他の取次へは東販経由の割当てとしたが,同社と親密な関係にあり関西地盤の大阪屋とは直接の取引とした.

3.sonorama
 『sonorama』(月刊)は,パリ・レオミュール通りの出版社SONOPRESSEより,58年9月25日に創刊された世界初のMAGAZINE SONORE(音の雑誌)である.
 SONOPRESSEは,1826年創業の出版社HACHETTEと開発元のS.A.I.P.―VEGAが設立した会社で,VEGAは62年の『ソノラマレコード』の原盤を提供したレーベルとしても知られる.
 『sonorama』創刊号は当初の7万部はもとより増刷35万部を直ちに売り切り,一部は定価の2倍で取引された.本誌は休刊を経て62年7,8月合併の第42号まで,他にTVの人気料理番組をフィーチャーした59年春の『cuisinorama』,日本の別冊にあたる『sonorama supplement』として,コメディ・デ・シャンゼリゼやアトリエ劇場の舞台を収めた『THEATRORAMA』と『sonoramaTHEATRE』がそれぞれ60年5,6月と12月に発刊された.
 SONOPRESSEは日本に先立ちイギリスBBCをはじめ,アメリカ,イタリアとも契約,国際的な『sonorama』の広まりが予想され,これが我が国での音出誌誕生を促がす一因となったが,市販品として継続刊行されたのはフランスと日本のみであった.

4.立体雑誌 
 音の出る雑誌は,それまでの「読む」,「見る」に第3の要素「聞く」を加えたことから「立体的」と形容され,印刷物と録音物を対等に供給する全く新しい商品分野の成立を期待させた.